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【読書記録】ベロニカは死ぬことにした

ネタバレあります!!

友人に誘われて読んでみました。ブラジル文学は初めてです。

あらすじ

毎日がつまらないという理由でベロニカは睡眠薬自殺をする。しかし、自殺は未遂に終わり精神病院に入ることになった。 そこで、医者から伝えられたのは「あと1週間で死ぬ」ということ。自殺未遂の後遺症のためである。
その後、ベロニカは精神病院の他の患者たちと関わりあう中で、生きる希望を持ち、自殺を図ったことを後悔する。ベロニカは命がこと切れる最後のその瞬間まで、生きようとあがく。

感想

他責的・抑圧的なことに無意識なベロニカ

「自分になかなか自信をもてないあなたへ」という本と偶然内容が重なっていました。「自分になかなか自信をもてないあなたへ」によると、自信を持つためには「わたしは主人公だ!」「いていいんだ!」「できる!」という3つの感覚を全て持っている必要があるとのことです。

このうち、「わたしは主人公だ!」という感覚がベロニカには抜けているのではないかと思いながら、「ベロニカは死ぬことにした」を読みました。

aisinkakura-datascientist.hatenablog.com

ベロニカは、毎日が面白くないといって自殺を図ります。このときのベロニカからは、自分で人生を面白くしようとする意志を感じません。その意味で、ベロニカは他責的は生き方をしているなと思いました。また、作中でベロニカは自分のやりたいことを押し殺し、両親が望むように生きてきたことに気が付きます。 そのため、自殺未遂を起こしたときのベロニカは抑圧的だったと言えるでしょう*1

この小説のポイントは、ベロニカはこれらのことを意識していなかったことです。自殺未遂を起こしたときのベロニカは、毎日が同じでつまらないという思考で完結していました。いつもと違うことをしてみたら面白いかもという発想に至ることができません。

また、両親が望むように生きてきたことについても、自殺未遂をする段階では気が付いていません。親に感謝しながら死んでいこうとします。

このような生き方をしており、それゆえ生きることに閉鎖的な苦しみを感じている日本人って結構いるのではないかと私は思っています。少なくとも自分はその一人です。 そして、他責的、抑圧的であることに無意識なので、「なんだか生きていてもつまらないなあ」とぼんやり考えている人も結構多くいるのではないかと思います。 あくまで主観ですが。

このように他責的、抑圧的であることに無意識のベロニカですが、精神病院に入って色々な患者と関わりあう中で徐々に意識化されていきます。 意識化の過程でこのようなことをベロニカは思います。

もし選べるなら、もしもっと早くに、毎日が同じなのが、自分が望んだからだと気づいていたら、もしかして.....

もともとベロニカは、毎日が同じでつまらない(=他責的)と考えていました。しかし、ここでは「毎日が同じなのが、自分が望んだから」と自責的な思考に変化しています。

抑圧に気づく瞬間については、下記のような記述があります。

「クスリを飲んだ時、わたしは嫌いな人を殺そうと思ったの。自分の中に別のベロニカが存在してるなんて知らなかったの。わたしにも愛せるベロニカが」(中略)「間違いを犯すことや、人が期待してる通りにできないことへの永遠の不安かも。」

「わたしの嫌いな人」=「間違いを犯したり、人が期待してる通りにできない自分」であり、周囲の目を気にして、抑圧されているベロニカ像が思い描けます。

私自身はこのベロニカの無意識に他責的に生き、抑圧されていることに気づかないという感覚が非常にわかります。 私自身、抑圧されて生きてきたと感じていますが、20歳くらいまでは抑圧されていることに気が付きませんでした。

他責的に生きていること関して言えば、本当に最近気が付いたといった感じです。しかも、他責的に生きていると気づいたはよいものの、どうしても自責的に生きることができません。 そういった意味でベロニカは自分の先を行っているなと思います。

親目線で見たベロニカ

あまりこういった読み方をする人は少ないかもしれませんが、抑圧をかける側の親からの目線でも考えてみたいと思います。 エドアード*2の親について、ベロニカはこのように指摘します。

「(前略)あなたのことを両親が想っていたと心から信じてるけど、その愛が、あなたの人生を破壊するところだったのよ。」

自分も含め、全世界の親はこの文章を腹落ちするまで何度も読むべきです。抑圧をかける側としての親は、子どもに愛を注いぐことは、よりよい人生に導くことだと信じきっています。 しかし、実際は愛が抑圧になり、子どもを苦しめることも自覚すべきです。

エンディングのつまらなささ

この小説のエンディングは面白くありませんでした。ネタバレになりますが、ベロニカが自殺未遂の後遺症を持っているというのは方便です。精神科医イゴール博士が、死を意識することで充実した生を生きられるという理論の検証をするため、ベロニカにそのような嘘をついたのでした。なので、ベロニカは生き残ります。

このようなエンディングは、正直つまらなく感じました。生きる喜びを得たうえでベロニカは死んでいくという流れの方が悲劇的で美しく感じます。なにより、読者に強い余韻を残すのではないでしょうか?まあ、小説家でもなんでもない素人が口出す領域ではないのでしょうけれど...。

自分に照らし合わせて

改めて、私は他責的・抑圧的に生きており、それが自分の人生をつまらなくしていると自覚しました。 ではなぜ、他責的・抑圧的に生きていることを意識しているにも関わらず、自責的・解放的に生きる方向に変えることができないのでしょうか?

その理由の一つとして、他責的・抑圧的に生きることは楽だからです。

自責的に生きるというのは、自分の責任で人生を切り拓いていくということです。これって他人に人生をゆだねるより大変ですよね。 抑圧的についても同様です。周囲の目を気にして生きていくことは、大変ではあるものの、自分基準を持たないで済みます。

また、自責的・解放的に生きることは周囲との軋轢を生みかねません。例えば、私がいきなり会社を辞めてバイトもせず、自分の好きなことばかりやっていたら生活できなくなります。 間違いなく家族からは反対されるでしょう。私にはそのような勇気はありません。

ベロニカは、精神病院に入ることで、色々なものを失い、結果これ以上失うものがないという状態に至りました。そのため、最終的に自責的・解放的な生き方をすることができるようになったのだと思います。 一方で、私は失うと困るものがたくさんあります。

失うものがたくさんある私は自責的・解放的に生きることは難しいのでしょうか?そんなことを考えながら小説を読み終わりました。

*1:物語の舞台として共産主義国家を採用したのも、抑圧をイメージさせるため?

*2:外交官の親を持つ多重人格者。親はエドアードを外交官にしようと固執するが、その過程でエドアードの精神が破壊される。