初心者データサイエンティストの備忘録

調べたことは全部ここに書いて自分の辞書を作る

自己肯定感高くないと感情を解放できない

毒を抜く

  少し前に「毒親」という言葉が流行りました。Wikipediaによれば「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を毒親というそうです。

 一言で毒親と言っても、暴力を振るったり、暴言を吐く親、経済的DVをする親、過干渉や逆に育児放棄する親など、色々なタイプが存在すると思います。また、その複合型もいるでしょう。

 ただ、どのタイプにも共通していることは、親が子どもの気持ちを受け止められないことだろうと私は考えています。子どもは親が思うように行動することが求められ、子どもが持つ楽しい、悲しいなどの自然な感情さえも許してくれません。

 生きづらさの正体はアダルトチルドレンでは、毒親によって病んだ精神を健全な状態に取り戻すための方法がいくつか書かれています。

 その方法の一つが、感情解放です。感情解放とは、幼少期に押さえ込んでいた感情を解放することで、精神の健康を取り戻す方法です。 大人になってからも、幼少期の自分を想像して感情を解放することで、精神の健康を取り戻せるようです。

感情を開放する取り組みを実践してみて

 私の母親もいわゆる毒親でした。ゲームしたり本を読んだり、音楽を聴くことなどの娯楽は一切禁止でした。子どもの「今日は疲れた」の一言に激昂し、何時間も殴ることも日常でした。

 このような家庭だったため、私は自分の気持ちを強く押さえつけながら育ちました。大人になってからもその後遺症にずっと苦しんでいます。

 そのような現状の中で、本書に書いてあった「感情解放」に取り組んでみました。

 本書では、感情解放を次の3つのステップを踏んで実践する方法が述べられています。

 1つ目のステップは、感情を出すことを自分に許す作業です。本書には「何を感じても大丈夫だよ」などの言葉を自分の魂に話しかけるイメージと書かれていました。

 2つ目のステップは、子どもの頃の自分をイメージし、その子どもになりきって感情を吐き出す作業です。

 3つ目のステップは、子どもの自分が吐き出した感情に対して、大人の自分が子どもの自分を励ます作業です。

 私は繰り返しこの取り組みをしてみて、2つ目のステップまではできるようになりました。

3つ目のステップにはなかなか到達できない

 2つ目のステップまでは進められるようになりましたが、3つ目のステップには心理的な抵抗があり、うまく取り組むことができませんでした。

 自分は励まされるほど価値のある人間だとは思えず、子どもの頃の自分に励ましの言葉をかけることに心理的な抵抗があったためです。

今後の取り組み

 「自分は励まされるほど価値がある人間には思えない」という思考は、私の思考の癖みたいなものだと思います。

 思考の癖に気づき、修正していくための取り組みとして認知行動療法があります。今後は、認知行動療法に一旦取り組み、その後に再度、感情解放に取り組んでみようと思います。

理性がない人は我慢する

 NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学を通じて、理性についてのこれまで私が知らなかった考え方を学びました。

 これまで私は理性がある人は、自分の欲望を抑制して何かしらの目標に向かって努力をする人という風に考えてきました。

 しかし、そのような理解は不十分であることに気づきました。

 ニコマコス倫理学では、幸福になるためには人間が持っている能力を、開花させていくことが重要だと書かれています。

 そのような前提のもとで、「節制」について、NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学では以下のように解説されています。

あるいは「節制」に関しても、先ほどは「放埒」や「不節制」との対比だけで話をしましたが、実は「無感覚」という悪徳もあります。快楽に対して極端に鈍感な人ということですね。人間としての充実を実現しそこねているこのような在り方も「悪徳」とみなされているというのは面白いですね。

 この一節を読み、「節制」は我慢することだけを指すわけではなく、総合的に充実した生を実現することなのかと、目から鱗が落ちた気がしました。

 このように書くと、ニコマコス倫理学でいう「節制」とは、程々に頑張って、適度に遊ぼうという考え方のように見えます。しかし、本書ではそのような考え方はアリストテレスの主張を捉えきれていないと説明されています。以下に本書の関連箇所を引用します。

「節制」に関してはどうでしょうか。先ほども述べましたように、何も感じないのも悪徳です。この世界に満ちている様々なおいしいものに対してまったく心が動かないことは、ものを味わうという自らが持って生まれた能力を発揮できていない状態です。他方、ちょっとでもおいしそうなものがあれば何も考えずに食べてしまうという在り方も悪徳です。では、まあまあ食いつけばよいのかと言えば、そういうことではない。いま自分にとって最も必要なものを、ほどよいバランスで食べる。それこそが節制ある人なのです。

 このように、自分が充実した状態を作り出すために、どう振る舞うべきかをその都度考えることがニコマコス倫理学でいうところの節制なのだと私は理解しました。

 以上を踏まえて、我が身を顧みると、これまでの何も考えずに我慢を優先していた生活は、理性がない状態だったと思います。これからは充実した生を追求すべく、過去の自分が学べなかった理性ある節制に取り組んでいこうと思います。

標準正規分布の期待値

はじめに

 確率変数 X \sim N(0, 1)について、 E\left[ X ^ n \right]を求める方法を知りたかったので、導出方法を少し整理しました。

導出の方針と導出結果

 結論だけを知りたい方のために、まず導出結果を書いておきます。


E\left[ X ^ n \right] = 
\begin{cases}
\dfrac{n!}{2 ^ {\frac{n}{2}} \left( \frac{n}{2}\right)!} & (n {\rm が偶数}) \\
0 & (n {\rm が奇数})
\end{cases} \tag{1}

 本記事では、(1)式をモーメント母関数とマクローリン展開を用いて導出します。

導出

 まず、一般的に e ^ sマクローリン展開


e ^ s = \displaystyle{\sum _{k=0} ^ \infty} \frac{s ^ k}{k!} \tag{2}

です。また、標準正規分布のモーメント母関数は


M(t) = e ^ {\frac{t ^ 2}{2}}

です。したがって、(2)式に s = \dfrac{t ^ 2}{2}を代入することで、標準正規分布のモーメント母関数のマクローリン展開は、


\begin{eqnarray}
  e ^ {\frac{t ^ 2}{2}} &=& \displaystyle{ \sum _{k=0} ^ \infty} \frac{1}{k!} \left( \frac{t ^ 2}{2} \right) ^ k \\
  &=& \displaystyle{ \sum _{k=0} ^ \infty} \frac{1}{2 ^ k k!} t ^ {2k}
\end{eqnarray} \tag{3}

となります。

 また、一般的にモーメント母関数のマクローリン展開


\begin{eqnarray*}
  M(t) = \displaystyle{ \sum _{n=0} ^ \infty} \frac{M ^ {(n)}(0)}{n!} t ^ n \tag{4}
\end{eqnarray*}

です。したがって、(3)・(4)式の係数を比較することで nが偶数のとき、 n = 2kとすることで、


\begin{eqnarray*}
  \dfrac{M ^ {(n)}(0)}{n!} = \dfrac{1}{2 ^ {n/2} (n/2)!}
\end{eqnarray*}

です。以上より


M ^ {(n)}(0) = \dfrac{n!}{2 ^ {n/2} (n/2)!}

です。同様に(3)・(4)式の係数を比較することで nが奇数のとき


\begin{eqnarray*}
  \dfrac{M ^ {(n)}(0)}{n!} = 0
\end{eqnarray*}

です。これと E\left[ X ^ n \right] = M ^ {(n)} (0)を組み合わせると、(1)式が得られます。

導出のポイント

 (3)式を導出する際に、(2)式を経由することで、標準正規分布のモーメント母関数のマクローリン展開が簡単にできます。私は、標準正規分布のモーメント母関数をそのままマクローリン展開しようとしたので、てこずりました。

 

共感性を測ったら見えてきた:ズレを生むのは「共感」ではなく「行動様式」かもしれない

はじめに

 直近の評価面談で、上司から「認識合わせの能力が足りない」と指摘を受けました。この点について私自身も強い課題感を持っており、対策を打つ必要があると感じていました。

 なぜ認識合わせがうまくいかないのかを考える中で、頭に浮かんだのが「共感性」でした。私は、「自分の共感性が低いから、上司と適切なコミュニケーションが取れず、結果として認識合わせもうまくいかないのではないか」と考えました。

 そこで、自分の共感性を多少なりとも客観的に把握するために、IRI-J(共感性を測る心理学的指標)を用いてセルフチェックを行いました。その結果「私は共感性が特別低いわけではない」という結論に至りました。

 この結論を受けて、上司とのコミュニケーションの課題は、共感性の高低の問題ではなく、仕事における私の行動様式に原因があると考えるようになりました。

 本記事では、この気づきをもとに、自分の課題を言語化しながら整理していきます。

認識が合わない:共感性が原因?

 仕事を進めていると「上司と認識を合わせて仕事を進めたつもりなのに、成果物に大量の修正が入った」「上司が気にするポイントが分からず、報告内容が伝わらない」経験がしばしばあります。このような経験を経て「もしかすると私は上司の“意図”や“感覚”をくみ取れていないのでは?」と考えました。

 このような課題を考えていたときに、非認知能力の「共感性」の概念が思い浮かびました。「相手の感情や立場を想像する力」こそが、上司との認識合わせを支える土台となる能力ではないか。このように考え「自分の共感性が低いから、上司と適切なコミュニケーションが取れず、結果として認識合わせもうまくいかないのではないか?」という仮説を立てました。

 そこで、自分の共感性の高低を客観的に把握するため、心理学で使われる共感性の指標(IRI-J)を用いてセルフチェックを行うことにしました。

IRI-Jによる共感性の測定

IRI-Jを選んだ理由

 私は心理学に詳しくないため、まずは共感性に関する代表的な指標を調べることから始めました。その際に参照したのが、共感性の測定指標を体系的に整理しているレビュー論文Educating for Empathyです。

 この論文は、医師や医学生の共感性を評価・育成する研究を整理したもので、6種類の指標が紹介されています(図1)。

図1:共感性の評価指標(Educating for Empathyから抜粋)

 今回はセルフチェックが可能な指標を選ぶため、次の三つの条件で絞り込みました。

  1. 和訳版が存在すること(英語力に依存せず、信頼性のある日本語版を利用できる)
  2. 質問項目が公開されていること(自分でスコアをつけられる)
  3. 日本国内での研究データがあること(自分のスコアを相対的に位置づけられる)

 これらの条件を踏まえ、最終的にIRI(Interpersonal Reactivity Index)の日本語版IRI-Jを用いることにしました。

IRI-Jの概要

 IRIを提案した論文では、共感を「emotional aspects(感情的な側面)」と「cognitive aspects(認知的な側面)」から構成される複合的な概念として捉えています。そして、IRIはこの二つの側面をさらに細分化し、「Empathic Concern」・「Perspective Taking」・「Personal Distress」・「Fantasy Scale」の四つの因子から共感を評価します。

 その後、IRIの日本語版としてIRI-Jが開発されました。IRI-Jでも同様な四つの因子が使われており、それぞれの概要を表1にまとめました。

表1:各因子の説明
IRI-Jでの因子名 IRIでの因子名 略称 説明(IRI-Jから抜粋)
共感的関心 Empathic Concern EC 同情などの他者指向的感情の喚起されやすさ
視点取得 Perspective Taking PT 他者の視点にたってその他者の気持ちを考える程度
個人的苦痛 Personal Distress PD 他者の苦痛の観察により自己に生起される不安や恐怖にとらわれてしまう程度
想像性 Fantasy Scale FS 物語などのフィクションの登場人物に、自分を置きかえるよう想像する傾向

 私はこの四つの因子のうち、「共感的関心」・「視点取得」・「個人的苦痛」に絞って、私の共感性を評価することにしました。その理由は、「想像性」が物語の登場人物への感情移入を測る指標であり、仕事に必要な共感性とはやや性質が異なると感じたからです。

 次節では、「共感的関心」・「視点取得」・「個人的苦痛」について、私の共感性の傾向を検討していきます。

測定結果

 共感性を測定するため、IRI-Jに掲載されている全28項目に回答しました。回答は次の基準に従い、5段階で自己評価しました。

  • 1点:全く当てはまらない
  • 2点:あまり当てはまらない
  • 3点:どちらともいえない
  • 4点:やや当てはまる
  • 5点:とても当てはまる

 また、項目の中には「逆転項目」と呼ばれる、得点の意味が反対になる質問も含まれています。そのため、逆転項目を補正したうえで、「共感的関心」・「視点取得」・「個人的苦痛」の3つのスコアを算出しました。

 次に、算出したスコアを、看護師と一般市民の共感性を比較した研究(看護師の共感特性)における「非看護師の市民」の平均値と照らし合わせて、自分の位置づけを確認しました(表2)。

表2:測定結果
因子名 私の得点 非看護師の市民(看護師の共感特性から抜粋)
共感的関心 28 23.2
視点取得 26 15.2
個人的苦痛 26 22.2

 その結果、いずれの指標でも比較対象の平均値を下回るスコアは一つも見られませんでした。このことから、「自分の共感性は低い」という当初の仮説を見直す必要があると感じました*1

 振り返ってみると、確かに職場には共感性が低く見える上司も存在します。それでも出世できているということは、認識を合わせる能力の高低は、必ずしも共感性の高さだけで決まるものではありません。このことから、私の課題である「認識合わせの能力が足りない」原因は、「情報共有の方法が稚拙である」「思考が浅い」といった、共感性とは異なる部分にあるのかもしれません。

まとめと今後の展望

 本記事では、上司との認識合わせがうまくいかない原因を「共感性の不足」にあるのではないかと考え、IRI-Jを用いてセルフチェックを行いました。

 その結果、私は共感性が特別低いわけではなく、問題の本質は仕事への姿勢や行動様式にあるのではないかと考えを修正できました。 つまり、共感性の測定を通じて、これまで「感情・能力の問題」として捉えていたテーマを「行動の問題」として見直せました。

 「行動の問題」として考える中で私が思い出したのが、仕事の進め方における二つの行動様式「Quick & Dirty」と「ラストマンシップ」です。

 Quick & Dirtyはこまめにレビューを受けるなど、上司の関与度を意識的に高めることで、業務の方向性のズレを最小限に抑える姿勢です。一方、ラストマンシップは最終的な責任を自分で引き受ける覚悟を重視し、上司の関与度が低い状態で成果物の品質を上げていく姿勢です。

 この二つの行動様式は、上司の関与度の点で矛盾して見えます。 しかし、Quick & Dirtyもラストマンシップも「品質が高い成果物を早く作る」という点では共通しています。そのため、両方を状況に応じて適切に取り入れることが、良い仕事をするうえで必要だと考えています。

 このように、私の場合、共感性という個人特性よりも、状況に応じた行動様式の選択こそが、認識合わせの精度を左右するのではないかと感じています。

 今後は、この二つのアプローチをどう統合し、実際に行動に落とし込むか考える予定です。次の記事では、この「Quick & Dirty」と「ラストマンシップ」の矛盾を軸に、認識合わせの能力を伸ばしていく方法を考察します。

*1:ただし、この結果を鵜呑みにできないとは思っています。IRIは自己評価であるため、実際より高く出ている可能性があります。

どの非認知能力を伸ばすべきか?:自分の問題と向き合う

はじめに

 非認知能力について検索すると「非認知能力を伸ばす取り組み」や「非認知能力を伸ばすプログラム」を紹介する記事が多数見つかります。そうした記事を読むと、紹介されている取り組みやプログラムをすぐに実践したい気持ちになります。

 一方で、非認知能力を伸ばす取り組みを試す前に「私は今どのような問題を抱えているか?」を考える必要があると私は感じています。その理由は二点あります。

 一点目は、伸ばすべき非認知能力を絞り込み、的を絞った取り組みにするためです。

 非認知能力は多様な能力の総称です。そのため、ネットで紹介されている方法で高められる力が、自分に必要な力とは限りません。抱えている問題を明確にし、伸ばすべき能力を特定すれば、取り組みの効果が高まると考えられます。

 二点目は、取り組みを自分で評価できるようにするためです。

 一般的に、非認知能力の定量的評価には専門的な知識が必要で、素人には難しい場合が多いです。しかし、今抱えている問題を明確にしておけば「この問題は解決に近づいているか?」という形で評価できます。これにより、一般的な定量評価は難しくても、具体的な問題の改善の有無であれば評価できるようになります。

 以上を踏まえて、本記事では私自身が抱えている問題を整理し、関連する非認知能力を明確にします。

私が解決したい問題

 ここでは日常生活の中で特に解決したい問題について書きます。書く際に意識したのは以下の二点です。

  1. 現実と理想の両方を書くこと
  2. 具体的に書くこと

 1については「問題は現実と理想のギャップのこと」と職場で繰り返し言われているので意識しました。

 2については最初、抽象的なレベルで問題を書き出してみたものの、関連する非認知能力を絞り込めなかったため、後から具体性を重視しました。

スマホを長時間眺めてしまう問題

 中学生の頃から、疲れるとテレビやスマホを見続けてしまう癖があります。やめたいと思ってもなかなかやめられず、ダラダラ見続けてしまいます。長いと週に5時間程度このような無駄な時間があります。

 このような現実に対し、理想はスマホのダラダラ時間をゼロにした生活です。浮いた時間を家族や自分のために使いたいと思っています。

 仕事中や家族と過ごす時間にスマホをダラダラ眺めることはないので、依存症レベルではないと考えています。それでも、自分の人生全体に影響がある問題です。

切り替えがうまくいかない問題

 スマホ問題とも関連しますが、ストレス解消のためのON/OFFの切り替えがうまくできません。

 例えば、趣味のサウナで外気浴をしている最中に仕事のことを考え続けてかえって疲れてしまったり、逆にリラックスモードから仕事モードに戻れず集中できないことがあります。

 このようなアクセルとブレーキを同時に踏み込んだ状態は心身を消耗させます。状況に応じてON/OFFの切り替えをスムーズに行い、余計な疲労を溜めないことが理想です。

上司の目線に立てない問題

 仕事をしていると「上司が気にするポイントがわからず私の報連相がイマイチ」「上司が何を言っているかよくわからん」場面が多々あります。

 仕事はロジックに加えてエモさ・忖度も重要なので、理想としては上司や同僚とツーカー関係になりたいものです。

関連する非認知能力

 ここまで、3つの問題をピックアップしました。以下に、これらの問題に関する非認知能力を整理します。

問題 関連する非認知能力 非認知能力の定義*1
スマホを長時間眺めてしまう 自己制御力 自分の衝動を社会の規範に沿って適切にコントロールし、課題指向的かつ目的指向的な行動をとる傾向
切り替えがうまくいかない エゴ・レジリエンス 日常生活における内的あるいは外的なストレッサー対して柔軟に自我を調整し、状況にうまく対処し適応できる自我の調整能力
上司の目線に立てない 共感性 他者の状況や気持ちに目を向け、気持ちを共有したり、理解したりする特性のこと

 各問題を非認知能力に紐づけることで、非認知能力に関する既存研究を基にした解決策を見出せる気がしています。

取り組み評価の方向性

 各非認知能力を高める取り組みを行った後に、その効果を次のように評価したいと考えています。

問題 評価方法
スマホを長時間眺めてしまう スマホの利用時間記録
切り替えがうまくいかない ランダムな時点でその時の集中状態を記録
上司の目線に立てない (良い方法が思いつかないので保留)

 上司の目線に立てない問題は、現時点で良い評価方法が思いつきません。しかし、共感性を高める研究を調べていく中で、何か手がかりが得られると考えています。

まとめ

 本記事では、自分が抱える問題を整理し、それらに関連する非認知能力を明確にしました。

 この検討により、伸ばすべき非認知能力の絞り込みと、取り組んだ後の評価の方向性が見えてきたと感じています。

 次の記事では、本記事で整理した内容を足がかりにして、非認知能力を高める具体的な取り組みを整理していきます。

*1:非認知能力』から引用

非認知能力について初めて知ったこと

はじめに

 日々生活していると、自分の「弱さ」を自覚する場面があります。例えば、「本当は勉強した方が良いのに、我慢できずスマホを眺めてしまったな」「ストレスに弱いな」「上司とうまくコミュニケーションをとれないな」などです。

 このような「弱さ」を克服するため、非認知能力について勉強しています。

 非認知能力とは、IQのように数値での測定が難しい能力の総称です。具体的な能力としては「自己制御力」「エゴ・レジリエンス」「共感性」などがあります。

 今回、非認知能力の研究をまとめた『非認知能力 - 北大路書房 心理学を中心に教育・福祉・保育の専門図書を取り扱う出版社です』を通じて、基本的な概念を学びました。本記事では、本書を通じて私が初めて知った考え方を紹介します。

多種多様な非認知能力

 「はじめに」で述べたように非認知能力とは、数値で測定することが難しい能力の総称です。本書で紹介されている非認知能力の一部を以下に記載します。

 また、各能力は下位の細かい能力に更に分かれる場合も多いです。

 例えば、本書で紹介されている「自己制御・自己コントロール」には下位能力として「衝動的攻撃を抑制する力」や「根気強さ」などが挙げられています。

 このような状態なので、非認知能力と一言で言っても、その意味は人それぞれです。非認知能力について人と会話する際は、それが指す意味の明確化が重要だと思いました。

非認知能力間の関係性

 「多種多様な非認知能力」で述べたように、非認知能力は複数の能力の総称です。その複数の能力間には、極めて複雑な関係性があり、それもまた非認知能力の理解の難易度を上げている気がします。

 例えば、日常的なストレスに負けない能力として、エゴ・レジリエンスがあります。これと自己制御には、関連があると考えられています。

 その理由は、エゴ・レジリエンスが高い人は、自己の抑制と開放の調整が柔軟で上手だと考えられているからです。

 他にも、エゴ・レジリエンスは共感性とも関連があると考えられています。他者の気持ちを考えたり、状況を推し量る柔軟さが、他者から感じるストレスを減じるためと考えられています。

 このような関係性によるメリット・デメリットがあります。

 メリットとしては、ある非認知能力を伸ばす取り組みが、他の非認知能力を伸ばす取り組みに転用できる点です。

 例えば、上述したように共感性とエゴ・レジリエンスには片方が高いともう片方も高いという関係性があります。したがって、共感性を高める取り組みが、エゴ・レジリエンスを高める取り組みに転用できる可能性があります。*2

 デメリットとしては、ある非認知能力を伸ばすことで、好ましくない特性が高まる副作用が発生する可能性がある点です。

 例えば、自己肯定感は個人の幸福感を高める有用な力です。その一方で、似た概念の自己愛は周囲との軋轢を生む可能性がある有害な特性です。

 この二つの能力間には、片方が高いともう片方も高いという関係性が認められているそうです。この関係性により、自己肯定感を育むことで、自己愛も共に高まってしまう可能性があります。*3

 したがって、非認知能力はただ伸ばせば良いわけではなく、副作用が生じていないかを注意深く観察する必要があります。

 以上を踏まえると、非認知能力を高める方法を検討する際には、他の非認知能力や特性との関係性を考えることが重要です。

非認知能力の測定

 非認知能力についてググると、「数値で測れない力」と紹介している記事が多く出てきます。

 確かに、非認知能力は学力テストなどの方法では測定できません。しかし、測定が限定的で難しものの、全くできないわけではありません。

 例えば、自己制御力についてはバラット衝動性尺度という尺度があります。これは、自己制御が機能できていない状態を測定するために開発された尺度です。

 このように、非認知能力は測定できないわけではなく、限定的ながら測定は可能であり、専門的な知識が必要である、と理解するのが適切です。

伸ばすべき非認知能力の選び方

 これまで述べてきたように、非認知能力は複数の能力の総称です。したがって、非認知能力を高めようとするのであれば、どの非認知能力を高めれば良いかという疑問が生じます。

 この疑問に関連して、本書に以下の文章が記載されていました。

逆境の際に求められる能力は、実は平時においては望ましい特性ではない可能性もあります。たとえば、食べるものもないほどの貧困の状況においては、「正直さ」よりも「だます力」のほうが、生き延びるために必要かもしれません。

 この文章を読み、私は社会適応の仕方は、個人とその個人を取り巻く環境によりけりであると理解しました。

 非認知能力を伸ばす目的の一つは、個人の社会適応を促すことです。そのため、どの非認知能力を伸ばすか決める際は、 社会一般の物差しで考えるのではなく、目の前の具体的な個人とその個人を取り巻く環境から出発して考えるべきだと思います。

日常生活と非認知能力

 非認知能力についてググると、非認知能力を伸ばすと謳う教育プログラムが多く出てきます。これらを見ると、非認知能力を伸ばすには、特別な教育プログラムを受けなければならないという焦りに似た気持ちになります。

 これに関して、本書では以下のように書かれています。

普段の何気ない経験そのものが自己制御の成長につながっているという点です。(中略)普段の生活の中で自分の目標を積極的に設定させ、達成度の評価を行わせる、達成した際には周囲からの肯定的評価を得られるようにするといったような取り組みは、教育現場にすぐにでも取り入れられることであるように思います。

 特別なプログラムのことはもちろん否定しませんが、日常生活の中で非認知能力を伸ばす方法を考えることが重要だと思いました。*4

結論

 今回、非認知能力について学んだことで、私は以下の五点の事柄を新しく知りました。

 一点目は、非認知能力には多種多様な能力が含まれている点です。

 例えば、自己の行動を律するための自己制御力、適切な対人関係を結ぶための共感性、ストレスから身を守るためのエゴ・レジリエンスがあります。そのため一言で非認知能力を伸ばすといっても目指す方向は様々です。

 二点目は、非認知能力は互いに複雑に絡みあっており、各能力の関係性を正確に特定することは難しい点です。

 例えば、共感性とエゴ・レジリエンスには片方が高いともう片方も高いという関係性があります。

 このような関係性によって、ある能力に関する取り組み方法を別の能力への取り組みに転用できるメリットや、逆に伸ばしたくない特性が伸びてしまうデメリットがあります。

 三点目は、限定的であるものの、非認知能力の高低を測定できる点です。

 非認知能力についてググると、「数値で測ることのできない力」と紹介している記事が多く出てきます。

 確かに、非認知能力を測定することは簡単ではありません。しかし、自己制御におけるバラッド衝動性尺度のような、自己制御に関する衝動性に着目した尺度などがあります。

 非認知能力の特定の側面に注目し、その側面を測定するために開発された尺度を使えば、ある程度は測定できます。

 四点目は、どの非認知能力を伸ばすべきか考える際の出発点についてです。

 社会適応の仕方は人それぞれです。また、その個人を取り巻く環境にも依存します。これら両方を勘案してどの非認知能力を伸ばすべきか考えることが重要だと考えています。

 五点目は、非認知能力は日常生活からも学び取れる点です。

 非認知能力についてググってみると、「非認知能力を伸ばすための特別なプログラム」を提供するサービスが多く目に入ります。

 しかし、非認知能力は特別なプログラムに限定されず、日常生活からも獲得できます。

 私個人としては、日常生活を通じて非認知能力を獲得する方法をしっかり検討することが大切なのではないかと考えています。

 本記事では、非認知能力について私が新たに知った点をまとめました。今後は、私自身がどのような非認知能力を獲得すべきか、考えていきたいです。

*1:日常的なストレスに負けない力のこと

*2:※因果関係があるかは不明なので、あくまで可能性の話です。

*3:因果関係は不明なので、本当にこのような副作用が生じるかは不明です。繰り返しになりますが、あくまで可能性の話です。

*4:※参照文の意見のように「教育現場にすぐにでも取り入れられること」とは全く思えませんが…

大腸探訪記

序文

 先日、病院で大腸カメラの検査を受けた。肛門から内視鏡を入れて、大腸を中から隅々まで見る検査である。

 本記事では、これから大腸の内視鏡検査を受けることが決まり、恐怖に震えている日本全国の皆さんに向けて、少しの安心感を持ってもらうために私の経験を記すものである。

 なお、私は医師ではなく一介の患者でしかないため、誤った知識を書いているかもしれない。その点はご容赦頂きたい。

大腸検査で一番大事なこと

 大腸検査で一番重要なこと、それは大腸の中を検査前に綺麗にしておくことだ。そこで検査前日は病院から渡された流動食(意外と美味しい)を食べなければいけない。

 また、検査前日の就寝前に下剤を飲む。この下剤は8時間後くらいに効いてくるらしい。そのため、明け方に便意で起こされるかもしれないとの心構えをしておくことが重要だ。自分の場合は子どもの就寝時間に合わせて22時くらいに下剤を飲んだ。したがって、翌朝6時くらいに排便がくるはずである。

 夜中の23時、突然排便コントロールを喪失した。幸い漏らしても大丈夫なように準備をしていたので、パンツを一枚失ったくらいで済んだ。

 ここから怒涛の便・便・便である。結局草木眠る丑三つ時までトイレは続いた。

 「話が違う」

そう思った。お医者さんからは8時間後に効いてくると聞いていた。しかし、現実は1時間後である。

 一方で、自分の過去のうん漏れ実績から、漏れても大丈夫な準備を万全にしていたことについては、適切な自己分析ができていたことを誇りに思う。

 この準備をしてくれたのは、妻である。余っていた息子のオムツやテープなどを上手いこと組み合わせて、お手製オムツをこしらえてくれた。ありがたい妻である。うんこ漏れて地固まるとはこのことだ。

 そんなこんなで夜中はまんじりともせず一晩が明けていった。陽が上がってくるのを窓から見ながら、ついにこの日が来たことを実感する。間違いなく、大学受験の日よりも緊張していた。

検査当日

 翌朝、さらに下剤を飲む。ここからが鬼門で、2時間かけて3リットルの下剤を飲む。その結果、便意が止まらなくなる。

 下剤を飲んだ結果トイレに行っている状態なのか、トイレに行った結果下剤を飲んでいる状態なのかわからなくなる。最終的には、下剤のノルマを達成するため、トイレで排便をしながら下剤を飲んでいた。

 普段はマルチタスクが苦手な自分も、ここぞというときにはできるものなのだと、自分を見直した。

 ちなみにこのとき、スポーツ飲料味の下剤をたしなみながら、『紅の豚』を見た。

 テレビの中では、ハードボイルドな豚が飛行機で飛び回っていた。それを「ハードボイルドな豚は大腸の内視鏡とか受けないんだろうな、だってイメージ崩れるもんね」と思って私は見ていた。トイレに行かないアイドルと同じである。

 余談ではあるが、紅の豚の名台詞「飛ばない豚はただの豚」というセリフを「飛べない豚はただの豚」と私は勘違いして覚えていた。

 「できるのにやらない」と「できないからやらない」の差は大きい。前者はハードボイルド業界では最も忌み嫌われる態度である。怠惰。精神の弛緩。「中学2年生は中弛みの時期ですよ〜」である。

 後者は「仕方なし」である。

 さて、無事にお尻から透明な液が出るようになったので病院に向かう。

 肛門の豚もちょうど見終わった。

病院への道中

 電車に乗って病院に向かう。このとき一番怖いのが、途中で漏らすことによって人間の尊厳を失うことである。そこで、電車内で漏らさないようにするための案を考える必要がある。

 そこで、因子間の関係性を整理する。

  1. お尻の緩さは、うんちが出る出ないを決める重要因子である
  2. お尻の緩さは、自分の意志である程度制御できる内部因子である

 以上の関係性を踏まえると、「自分が気持ちを引き締めれば、うんちを漏らさない可能性がある」という結論が得られる。外コンでロジカルシンキングを鍛えられていたため、電車に乗っている際のうんち我慢戦略を立てることができた。

 しかし、この戦略にも一つだけ弱点がある。「電車の中で知り合いに会った場合、尻への集中力が奪われ、うんちを漏らす可能性がある」という点である。

 これは杞憂に終わった。

病院に到着

 家から30分ほどかけて、予約していた病院に到着した。ここからは、一人の看護師さんが私の面倒を見てくれるらしい。サバサバ系の女性看護師さんが、私の担当だった。トイレで排便したら、この看護師さんに見せて、腸内がキレイになっているか確認してもらう。

 時間はちょうどお昼過ぎ。サバサバさんは恐らくお昼ご飯を食べそこなってしまったのだろう。サバの塩焼きが入ったお弁当を持って控室に行ってしまった。

 サバさんが控室に入った瞬間、僕は激しい便意を感じた!身体の底から湧き上がる力、古来からありとあらゆる生物が出してきたうんこ。自分も命の一つであることを実感し、楽しかった。

 トイレで便を出したので、サバさんを呼ぶ。サバさんが控室に入ってまだ2、3分だろう。サバさんがサバのお弁当を開けたくらいにおじさんのうんこを見なければならない。なんと因果な仕事だろうか。

 しかもこの動きが2回あった。つまりサバさん目線で見れば、「サバさんがサバ弁当を開ける」→「おじさんのうんこを見る」→「サバ弁当を食べ出す」→「おじさんのうんこを見る」という感じであろう。

 一つ救いになったのは、下剤によって腸内は非常に綺麗になっており、出たうんこに臭いがないこと。これにより、サバサバさんの between うんこ & サバ弁当シャトルランは少し楽になったかもしれない。

 余談であるが、人のうんこを見ることを看便(かんべん)という。これは、医療や福祉で使われるどちらかというと固い単語である。以前、妻と一緒に「月曜から夜ふかし」を見ていて知った言葉である。

 余談どころか、完全に話が脱線するが、医療用語の「オペ」について一つ思うところがある。「オペ」とは皆さんご存知のように、元々運用を意味するオペレーションからきた単語である。したがってシステム開発の運用のことを「オペ」と言うことはできないだろうか?

 ITシステムにおける運用フェーズは一般的に嫌がられる。しかし、「オペばかりしている仕事だよ」と言って求人を出せば、魅力を感じて採用活動が楽になるのではないか?

 そんな馬鹿はいない。

 そのような感じで、IT業界の現状に思いを馳せていたところ、検査室に呼ばれた。

検査室にて

 検査室ではサバさんがテキパキと準備をし、あっという間に点滴を入れられた。

 点滴開始から10分、なんだかすごく気持ち悪くなってきた。点滴で入れる鎮静剤は人によっては気持ち悪くなることがあるという。そこで、サバさんに気持ち悪い旨を申告してみた。

僕「あの~点滴始まってから気持ち悪くなってきて〜」
サバさん「針刺して準備しただけで薬は入れていないんだよね〜。怖くて気持ち悪くなったんじゃない?」

図星だった。

実は検査台に登った瞬間、私は恐怖感に駆られていた。

「だってこれから大腸に棒入れるんでしょ?そんなん痛いに決まっているじゃん。」

台の上に乗っただけで恐怖を感じるとは情けない。私は腐っても一児の父親である。ここは一発大人の威厳をかまさねばならんと思った。

 だがその直後鎮静剤を投与され、ウトウトしてしまった。「威厳をかますのはまたの機会で良いよね〜」と鎮静剤によるウトウト感で気持ち良くなってしまった。

 肝心の内視鏡検査は、薬でウトウトしていたためよく覚えていない。ただ、印象的だったのは、肛門を強めに押されている感覚はあったが、お腹に内視鏡が入っている感覚は全くなかった。

 なんなら薬のおかげで非常に落ち着いた心地よい感覚が得られた。あれなら毎日やっても良い。

 最後に内視鏡が撮影した大腸の写真についてお医者さんから説明されておしまいである。非常に綺麗な大腸だった。自分って大腸が綺麗なんだという新しい発見をし、自己肯定感も上がった。

まとめ

 今回の経験で私は以下のことを学びました。

  • 紅の豚の名台詞は「飛べない豚はただの豚」ではなく「飛ばない豚はただの豚」
  • ロジカルシンキングは私生活にも役立つ
  • サバサバ系看護師さんはサバのお弁当を持ちながら人のうんこを見なければならない

 皆さんの大腸カメラライフに幸あれ!