本書を読んだ理由
私は承認欲求が人一倍強いです。また、それゆえ、承認欲求が満たされない苦しさを常に抱えています。 この苦しさと向き合う中で、私は次の二つの問いを持つようになりました。
- 私はなぜ承認欲求が強いのだろう?
- どうすれば承認欲求が満たされない苦しさから脱却できるだろうか?
この問いに対する答えを探していた時に、本書と出会いました。
結論から言えば、本書を読むことで自分の承認欲求が強い理由については、ある程度見当をつけられそうだと思いました。しかし、承認欲求が満たされない苦しさからの脱却については、本書からヒントは得られたものの、一人で解決することは難しそうだとの印象を持ちました。これは本書の不備というよりは、承認欲求が満たされない苦しさから脱却することが本質的に難しいからだと思います。
私はなぜ承認欲求が強いのだろう?
承認の種類
「私はなぜ承認欲求が強いのだろう?」という問いを考える上で、非常に参考になった考え方があります。それは、承認にはいくつかの種類があるという考え方です。本書では、承認を「何が認められるのか?」という観点から二種類、「誰に認められるのか?」という観点から三種類に分類しています。
過去の振り返り
私はどの承認欲求がいつ満たされていたのかということを考えるため、過去を振り返ってみることにしました。
過去を振り返ることで、今の承認欲求のルーツが分かると考えたためです。
図2は、先ほど説明したそれぞれの承認欲求が、過去どのような状態だったのかを表したものです。なお、一般的承認は受ける機会がなかったので、図からは割愛しています。
図2を見てみると、中学~高校までは「行為×集団的」の承認が満たされていました。しかし、大学に入ると他の承認欲求と同様に承認欲求が全く満たされない日々が続いていることがわかります。
私の承認欲求が強い理由
私の承認欲求が強い理由を一言でいえば、中学~高校まで満たされていた「行為×集団的」の承認を忘れることができないからです。過去に唯一満たされていた「行為×集団的」の承認に、今もしがみついているのです。
また、それゆえ「存在×親和的」の承認が現在においては満たされているにも関わらず、自分が満たして欲しい承認(=「行為×集団」の承認)は満たされないために承認不安を抱えている状態になっています。
なお、本書には行為の承認について下記の考察がされていました。(p140から引用)
親和的承認は存在そのものが受容される「存在の承認」でもあり、この経験が乏しい人ほど、「行為の承認」に執着し、ありのままの自分では受け入れられない、と感じるようになります。
この文章は読んだ瞬間に私のことを指している!という強い納得感がありました。
どうすれば承認欲求が満たされない苦しさから脱却できるだろうか?
承認不安を解消する方法
承認不安を解消する方法を本書は下記のように説明しています(p138から引用)。
承認不安を克服し、自由に生きるために、自己分析の方法を示してきましたが、それは自分の感情から承認不安、欲望、義務感に気づき(自己了解)、さらに自己ルールの分析をとおして不安の原因を突きとめ、自己ルールの歪み、行動を見直していく、という方法でした。
この文章を理解するため、自己ルールと自己了解という言葉について下記で補足します。
自己ルールと自己了解
まず、自己ルールについて説明します。自己ルールとは自分の中に持っている行動の基準です。例えば、「中学生が勉強をしなければいけないのに、友達に遊びに誘われた」というシチュエーションを考えてみます。このとき、「遊びにも行きたいし、友達にも悪いが勉強しなければまずい。勉強しよう!」と自分の行動を決めるための基準が自己ルールです。
この自己ルールですが、自分にとって常に良い結果をもたらすとは限りません。欲望と義務のバランスが取れている場合は、自己ルールにしたがうことで、達成感を得られるといったポジティブな結果につながることもあります。しかし、欲望が強すぎれば義務を果たすことができず、逆に義務が強すぎれば欲望を満たせない状態になってしまいます*1。(図3)
不適切な自己ルールを排除し、自分の人生において適切な自己ルールを身に着けることが幸福に生きるためには必要です。 では、不適切な自己ルールを排除し、適切な自己ルールを身に着けるためには何をしたら良いのでしょうか?その答えにつながる概念が自己了解です。
自己了解とは、読んで字のごとく自己の内面について理解することです。先ほどの例でいえば、「今私は『勉強をしなければ親に怒られるな』や『勉強しなければ高校に落ちるな』という不安と『遊びに行きたいな』や『断ったら友達に悪いな』という欲望がある」と理解することが自己了解できた状態となります。
本書では、自己了解をすることは、歪んだ自己ルールに気付くきっかけになると述べられています。その理由を先ほどの例を通じて考えてみたいと思います。
上記の例では、「友達と遊びに行きたいが不安だ」というのが最初に生まれる感情でしょう。これを自己了解するために深堀すると、不安の正体は「親が怖い」や「高校に落ちる」という不安だと気付くことができます。
では、なぜ「親が怖い」と思うようになったのかということを考えてみます。例えば、過去にテストの成績が悪かったことで暴力を振るわれたとか、罵詈雑言を浴びせられたとかあればそれが原因だとわかります。 同様に、「高校に落ちる」という不安も、過去に塾で煽られたとか、名門高校に行かなければ生きる価値がないと周囲から教え込まれたとか思い出せればそれが原因だとわかります。
このように自己了解をすることができれば、根拠のない事柄(別にテストの点数が悪かったからと言って親は暴力を振るう権利はないし、名門高校に行けなくても死ぬ必要はない)に振り回されて自己ルールを形成してしまったのだなと自覚することができます。
ここまででの議論を図4にまとめました。
我が身を振り返ってみて
私は大学生の頃、ひどい鬱状態になり毎週カウンセリングを受けていました。そのことを今振り返ってみると、カウンセリングを通じて自己了解はかなり進んだのではないかと思います。
しかし、その一方で歪んだ自己ルールは今でも強く自分を縛り付けています。なので、自己了解が進むことは、自己ルールを自覚する必要条件ではあるものの、歪んだ自己ルールを適切な自己ルールに書き換えるための十分条件ではないと感じています。 このことについて、本書では下記のように述べています。(p138から引用)
仮に自己了解によって承認不安を自覚できたとしても、歪んだ自己ルールを変えることは、かなりの勇気がいります。なぜなら、その自己ルールは承認に関わる危険を避けるためにあるからです。自己ルールを否定し、行動を変えるということは、いわば承認されない危険に身をさらすようなものですから、すぐには受け入れることができません。そんなことをしようとすれば、強い承認不安が喚起されて、無意識にブレーキがかかるでしょう。
どうやったら自己ルールを書き換えて健全な状態で生きることができるのか、それについて本書では銀の弾丸のような方法は示されていません。 なので、時間をかけて自分なりの自己ルールの書き換え方を模索するしかないと思っています。
まとめ
- 承認にはいくつかの種類がある
- 各承認が満たされていたかを振り返ることで、自分の承認欲求がどのように育ってきたかを理解することにつがなる
- 自己ルールとは、自分の中にある行動の基準
- 適切な自己ルールを持つことが幸福に生きるためには必要
- 自己了解できることは、適切な自己ルールを持つきっかけとなる